ほんの時々、そんな事を考える。
答えはいつも、「私には私の人生がいい」と。
誰かを羨むことは殆どないと思う。というより、なくなった。
年を取ったことで、人のいろんな側面を見たり考えたりする事が若い頃よりできるようになったからか。SNSやインターネットをジーっと見ていると、人のいろんな側面を垣間見れるようになったからか。どんな人も、殆ど、何やら色々抱えていたり、隠していて、いい姿や、いい時を切り取って見せていたりしてる。
自分の過去や、生き方を振り返ると、結局自分にとって都合のいいものを選んだ結果が今であり、それが私の人生なんだと思うんだ。
例えば、私が自分を殺して、迎合して、上手くやっていたら、親きょうだいと切れることはなかったかもしれない。でも、私はそう出来なかったし、したくなかったから、こういう事になってるんだと思う。で、孤独(孤高)が好きなんだと気づく。
人によく見られる事よりも、精神的な自由とか、気楽さの方が好きなようで、古い団地暮らしが気に入っている。素敵な家に住みたいとかも思わない。いや、住むのはいいけど、持ちたくない。面倒だ。気楽で、身軽でいたい。好き勝手してきた数十年、持たない(持てない)から、そうやって生きてこれた。
昔から持ちたくなかった訳じゃなく、持ちたかったけど持てなかった。それは、心の中で、気づかないうちに何かと何かを天秤にかけて、選択してたんだとおもう。で、結局持ちたいと思っていたものより、別のものを選んできたのだろう。
自分の人生に不満がある人も、結局は「心の中で、気づかないうちに何かと何かを天秤にかけて、選択して」きたのだと思う。
「あんな人生がいいな」と、誰かの人生を羨んでも、見えない部分もあって、それも受け入れられるかというと多くの場合そうじゃないのだと思う。「あんな人生」が本当に欲しいのだったら、是が非でも、這ってでも、多くを犠牲にしても手にしたいとやれば、手に入るものも多くあると思う。容姿だって、整形でどうにでもなる。お金だって、誰かをだましたり、若い時におじさんに貢いでもらったり。そういう子たちはいっぱい見てきた。お金が本当に本当に欲しいのならそうすればいい。
愛されたいのなら、本当の自分を押し殺して、相手が求める自分になればいい。
問題なさそうに見えて、幸せそうな人生の人もいる。けど、その幸せが私にとっても幸せかというと、そうでもなかったりすると思う。
結構ほんとに幸せかもしれない友人がいても、その人生が自分にとって幸せだとは限らない。
結局、みんな、みんな、自分にとって、いい、と感じる事を選んできたのだと思う。
周りに流されたとしても、流されることを(無意識だとしても)選択したのだろう。
傷つきたくないから、と、リスクを取らない方を選択した事も、毒親と言いながら親から離れない事も、あまり好きじゃなくても収入が高い人を選択した事も、みんなちゃんと自分で選択しているのだと思う。
もしも、こんなはずじゃなかったと、納得が出来ないのだったら、しっかり自分自身の心と向き合い、ゆっくり、じっくり話し合っていくといいと思う。
きっと、何かと引き換えに、ちゃんと自分で選んできたことに気づくと思う。