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誰かを「助ける」なんて出来ない。

Captain Seina

先日Yahoo ニュースから読んだ記事。
「“一言もしゃべらない24時間”に耐えられるか」老害にならないための”あるトレーニング”
この記事にあった、「自己有用感」。
「自己肯定感は本人さえいれば持てるものですが、自己有用感は誰かがいて初めて持てるものです。つまり、他の人の評価なしには持てない感情です。」
「これだ!」と思った。
近年思うのが、「誰かを助ける」という事の意味。
私は、ダニエラやダニーのパパの事で、「誰かを助ける」という事はとても難しい事で、私には無理だと、気づいた。自分の愚かさや傲慢さを思い知った。
その場しのぎで助けることが出来ても、結局自分の力で歩こうとしない、自分の力で歩くこと(自分の人生の責任を自分で受け止める)を本人が意志をしっかり持って(自分の軸かな)歩む事を受け止めない限り助けたつもりが甘えや依存を助長させてたりしてしまうのだと、気づいた。
その場しのぎでも助けることが出来たりすると、自分が役に立てたように嬉しくも思う。
これが「自己有用感」なんだね。
この数年考えていたことが、「誰かを助ける」という事は、助けようとしている人がいて自分が有用な存在であったり、価値があるように感じれたりする。で、それは「与えてる」ようで、実は自分が何かを得るためにしている事なんじゃないかと。
で、「誰かを助ける」事や、「人の役に立つこと」は良い事だと刷り込まれている。だから「誰かを助ける」事や、「人の役に立つこと」をすると「よい事をした(している)」という気持ちにさせてもくれる。よい事をしているという安心感も持てる。

でも、結局は、助けを必要としている側の本人が自分と自分の人生を受け止め、自分の足で歩くしかないという事を覚悟しないと本当の意味では助からないんじゃないかと。
自分で泳げないと、結局は泳げない。泳げない人を助けようとして命を落としたという話はよく聞く。

何年も考えていたことを、今更書いたのは・・・。
7月11日にキューバで起こったデモにダニエラは参加をして、逮捕されて今収監されている。
人間的に悪い子じゃないし、地頭も悪い子じゃない。子供が二人。26歳。
逮捕をされるような事を何かやってしまったのだとは思う。彼女にとってはそれは「正義」だったのかもしれない。でも子供たちはどうなる(子供たちのおばあちゃんがみている)。
自分の人生を受け止め、受け入れ、覚悟と責任を持つという事が解ってないのだと思う。
一般メディアの報道(日本はもちろん、いろんな国の)やSNSを見ていると何が本当とか、正しいとか、解らなくなる。そもそも、そうさせるためにそういったメディアを利用しているのが今の世界だとも思う。
そういった疑問が私をキューバくんだり(私たちの世界の側面と違う側面)まで行かせた理由でもある。
アメリカがキューバ人同士を対立させている。アメリカは引き続き対立をさせるためにいろんな手を使ってるとも思う。

今回の混乱で、キューバ政府側の考えを受け止めている人たちはSNSで黙ってるように感じる。親友のルイシートはそうだと思うし、ミュージシャンとしてそこそこの人たちは何も言ってない。そういう人たちは文句があるなら、キューバが嫌なら、出て行けばいいし、出ていくチャンスはいくらでもあると思う。
SNSで発信している人たちの多くは、キューバを出て暮らしている人たちや、キューバを出たくても、経済的もしくは、精神的に出られない人たちなんだと思う。
経済的、精神的にキューバを出られない人たちのうち、覚悟を決めればなんとかなるかもしれない人たちも少なくないとも思う。アメリカではキューバ人の移民はほかの国からの移民よりかなり優遇されてたはず。
キューバが嫌なら、出て行けばいい。出ていくために、地道に準備をすればいい、んだけど、地道な準備が出来ない。その人の持つ弱さや、その人の中の優先順位が違うんだと思う。
「ほしい」と思う事は簡単。
本当に欲しいのなら、何かを犠牲にしてでも、這ってでも。そうじゃないと目の前の事や、自分の弱さで手に入れることは出来ない。

ダニエラとはたくさん、たくさん話した(語り合った)。それでも、頭では分かったつもりでも、キューバの政府に強く不満を持っていたから今回のようなことになったのだと思う。
「頭で解っていた」というのは、別の思いを押し殺して、「頭での理解で蓋をしていた」のだと思う。
どれだけたくさん話しても、伝えたとしても、その人の軸や心が納得した事しか、本当の意味でのその人の一部、その人の考えや思想ではない。
その考えや思想を変えるには、経験をするしかない。
自分の視野や知識がいかに浅くて狭かったのかを体験により思い知るしかない。
彼女のパパとママ(離婚してる)の事を深く知ると、彼女が本当に欲しいものは受け入れられる事、愛される事なのかもしれない。安心して甘えるとか。そういうのが幼少期になかったのだとも思う。彼女がふらついてしまうのは、それが原因じゃないかと思う。
誰かを助けるなんて、簡単じゃない。抱え込めるだけの許容力、覚悟と責任が持てないのなら「助けられる」と思う事も未熟さなだけかもしれない。自己有用感を感じたいとか、良い事がしたい、良い人でありたいからかもしれない。

ダニエラには、いろんな経験をして、思い知って、等身大の自分と現実を受け入れて、一歩一歩歩く。そうあって欲しい。
願いと祈りを込めて、見守る。それくらいの事しか出来ない。