前の記事に、小室哲哉さんの事をちょろっとふれたでしょ。そこから、avexの松浦勝人さんという人が気になって色々見てたのね。
私は1989年にニューヨークに行って、そのあたりから殆ど日本の音楽を聴いてないので、1990年代の日本の音楽をあまり知りません(バイト先でカラオケで知る程度)。小室哲哉さん以降が作った日本の音楽シーンというか、流れ、好きじゃないんです。私は殆ど聞かない。
二人がそれぞれに出ているインタビューやドキュメンタリーを見ていると、そのインタビュー後の彼らに起きた事、やってしまった事を考えると、いろんな事が見えてくる。
小室さんと松浦さんが作っていった音楽の流れやコンセプトのようなものが少しわかると、どうして私が彼らの音楽に魅力を感じなかったのか、今更、なんかとっても理解した。
売るための音楽。
音楽の大量生産。
機械産業化された音。
で、ドキュメンタリーに出ている周りの人たちも、売れる、売る、為に動いている。言葉の一つ一つに、素朴とか、人間味というか、そういうのが感じられないの。彼らにも。
ミュージックビジネス。音楽産業(music industry).
私が、音楽の何をこんなに愛しているのかというと、音の中にある「人」「ヒューマン」のエネルギー。
私は、比較的古い音楽を聴くでしょ。
1930年代から1970年代の音楽は作り方がアナログというか、ヒューマンが奏でてるんだ。21~22歳くらいの頃、ジャズ(というか、アメリカンポップスタンダード)から逃げてた頃、周りにクラブでレコード回したりするDJの友人が結構いたし、私もちょっこっとソウルとかブラックコンテンポラリーとかも聴いていたので、そういった黒人のクラブやディスコ音楽に逃げてたの。ターンテーブル(レコードプレーヤー)も2台持ってて、ミキサー挟んで回してみたり。だからそいったレコードをたくさん持ってた。←ニューヨークね
ビートに合わせて、上手くスピードをコントロールしながら、音をつなぐの。
BPM(Beat Per Minute)、1分間に何度拍を打つか。
で、気づいたのが、1980年代になると打ち込みで作られる音楽が増えてくるの。だから繋ぎやすくなるの。打ち込みじゃないものは機械的じゃないからBPMも変わるし、繋ぎにくい。多分、そういうビートを合わせて、被せて、繋ぐという手法が1980年以降に主流になって行ったのかもだね。←ようわからんけど。
時代的にその後に続いて、ハウスミュージックとか、トランスとか、そういうのが出来ていくんだと思う。このあたりの音は、とっても機械的だよね。
松浦さんは、1980年代後半に日本で流行った「ユーロビート」の仕掛人らしい。
私は、ユーロビート好きじゃないんだ。シャカシャカ、チャカチャカ、装飾でキラキラしてて、平坦な感じがするんだ。ヒューマンをあまり感じない。
小室さんは、ダンスミュージックを作ろうとしたのね。その流れは、ユーロ系とか、白人系の音なんだと思う。もともと体にあるはずのリズムの事もあり、その方が日本人には受け入れやすいと思う。
打ち込みやキラキラ、平坦なリズム。それ以上に理解が出来なかった(好まなかった)のは、首を絞めてるの?と言う感じの、きつそうな、声。聴いていて全くリラックスできない。
そういう音楽を流行させて、大きなビジネスが起き、お金が沢山動いた。仕掛けていったのね。
それは、悪い事じゃないとは思うけど、味気のない、深みのない、機械的な音楽だったと思う。で、どんな仕掛けられ方をしても、選ぶのはそれぞれ。多くの人がそれを選んだんだよね。
そういう音楽が、機械化産業で出来た刺繍とか、機械で作られたもの。加工食品とか。
便利で、大量生産が出来て、流通させやすい物。で、一見よく見える(見せる)。
多分、私が好んで聴いてる音楽は、まだ産業革命が起きる前で、手工業品として手で刺繍をするしかなかった時代の音楽なのかもしれない。
そこには、人の吐息や、ぬくもり、温かさが、エネルギーとしてあるんだ。
私が初めて録音スタジオに入ったのは1995年くらいだったかな。
マンハッタンのアパートの一室をスタジオにした小さなスタジオ。エンジニアはクラシックをメインに録音していて、時々ジャズをするという人だった。ボーカルブースすらなくて、一部屋にみんなが入って一気に音を録った。
私の初めてのアルバムはそこで半分録ったものを使ってるの。あとの半分は別のスタジオで、そこにはボーカルブースがあって、私はブースの中で歌った。
ボーカルブースがあるのが当たり前で、無い方が珍しいし、作る側もあったほうが作りやすいの(あとで歌だけ入れ直したりができる)。
2011年に録ったものは、もちろんブースの中。
私こそ、上手くない歌手なので、ブースがないとエンジニアやミュージシャンは大変だし、音を録る際にも、マイク(チャンネル)で音が被らないから、ミックスもしやすいんだと思う。
でもね、私はブースが好きじゃないんだ。
同じ部屋で録るからこそ。一発録りだからこそ、出来るものがあるんだ。
音の対話、エネルギーの対話や絡み。空気感。空気から伝わる、その人(ミュージシャン)を感じ取りながら歌う。それが空気の中でミックスされてできる音があるんだ。そうしないと出来ない音があるんだ。
1990年代に、ある知人がレコーディングをしたの。日本のジャズのミュージシャンでそのプロジェクトはけっこうなミュージシャンを使っていて、かなり予算をかけていたの。途中で何度が音を聞かせてもらったら、なんかおかしいの。エネルギーが溶けあったり、絡んだりしてないの。会話がないというか。一度スタジオに行ったの。そしたら、その人だけが音入れの日だったの。みんな別に録って、ミックスするんだよ。だから、音の会話やエネルギーの絡みが無いのかと、腑に落ちた。
だから、私のいう所の「ヒューマンの音」を聴くにはジャズならいいんじゃないんだ。
キューバでも、今はみんな別々に音を録って、ミックスする。
今の時代は、音が外れたり、リズムがずれたら、それもミックスするときに動かすの。
そうやって、音楽が「作られる」。
「美味しいものを食べる」
何をもって、美味しいというのか。
インスタント食品やお惣菜も美味しい。
工場で作られたものも美味しい。
でも、手作りのものって、その人の気持ちや温かさ、その人のエネルギーの味がする。
そういうものを食べてないと、心の栄養が不足する気がする。
音楽もそうなんだと思う。
ヒューマンの味がする音楽を食さないと、心の栄養が不足する。感性が育たない(違う方向での感性は育つので一概に悪いわけじゃないけど、素朴さや手工芸的な温かさは育ちにくい)。