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世界はあなたをどう扱ってる?

「コンプレックス」という「バネ」。生きる力。

Captain Seina

Youtubeのお勧めで小室哲哉さんの全盛期の頃のドキュメンタリーがあったので、見てみた。
1990年代の全盛期。
番組では天才だと、もてはやしていた。
私はその頃はニューヨークに居たのであまり知らない。彼の音楽、好きじゃなかった。私は温かい生音・生楽器な音楽が好きなんだ。
その後に、5億円の詐欺で捕まった後の番組が出てきたので見てみた。
コンプレックスが強くあったと言っていた。
認められたいとか、認めさせたいという強い欲求があったのかもしれない。

数週間前に、冨永愛さんの事を考えてた。
かなり複雑な家庭環境があったらしい。強いコンプレックスを持っていたらしい。
昔のバイト先の同僚(NY)がかなり親しい事を知った。私は時期がずれてるし、直接知らない。
何か、強いコンプレックスを持つと、人はより強く、バネに出来るのかもしれないとも思う。
私もそうだったとは思う。
子供の頃には学校でかなり虐められた。家族の中でも色々あった。自分が価値のないもののように扱われ、自分の心が殺されかける。「今に見てみろ」という恨みのようなものがあったとも思う。「私にだって価値がある」と、知らしめたかったというより、そうしないと、自分が死にそうだった。
それが、1999年にアメリカの老人ホームへのプロジェクトのバネになった。「這ってでも辿り着いてやる」と。そうしないと、私(心と自尊心)は死んでしまいそうだった。
新聞やテレビで取り上げられると、周りが突然馬鹿にしなくなった。立派な人とか、いい人とか、で、妙な期待をしてくれるようになった。
それまで、蔑まれてきた私は、そういう扱いをされるとどうしていいか解らなかった。だから、傲慢にもなったと思う。
時々、考える。どうして、あんなに、わたしは、私が生きている事、私(の生)に意味があると、強調したかったのだろうかと。理解者が欲しかったのだろうかと。承認を得たかったのだろうかと。蔑まれたり、否定されて育つと、歪む。自分を肯定するため、他者に対して自分を肯定させるために必死だった。そうしないと、自分が死んでしまうようで、殺されてしまうようで。
親や家族から受け入れられなかった。承認されなかった。というのが、根本にあったのだと思う。
それは、溶けてなくなったのか?
「溶ける」のではなく、「解ける」事「理解をする」事で、自分の中で折り合いがついたのだと思う。そうして、ある程度は溶けていったように感じる。
若い頃には経験や理解度が足りなくて、解けない。
でも、解けなくて、苦しくて、死にたくない(心が)、生きたい、ともがいていたから、あんなに頑張れたのだと思う。そして、もがいた日々の中で得た経験やミュージシャンとの出会いは私の中の宝物になった。
私が若い人の感情解放をやらないのは、理解するための経験が足りないこともあるが、そこで悩んで、もがくことが、大切な経験になると思う。それが「失敗」といわれるものや「挫折感」を味わわせることになるかもしれない。でも、それがとてもとても大切な経験で、その先で他者や自分自身、人生の理解度を上げる為の考えるリソースになるのだと思う。
それをバネにして、いろんな人に出会い、いろんな経験をし、いろんな事を感じる。
そういうチャンスを奪いたくないし、逃げてほしくない。
人生ってもがいて、苦しんで、悩んで、いっぱい考えた方が、味わい深い気がするんだ。
最近は思うんだ。
有名になりたい人や、俗に「成功」と言われるものに固執する人は、もしかしたら、その人をそうさせる何らかの「バネ」があって、そのバネは何らかの強いコンプレックスや不満が作っているの事もあるんだろうな、と。
それが悪い事というのではなく、そのバネは生きる力を振り起させるだろうし、いろんな経験をすることが出来るんだと思う。
追記:この記事を書いた後に冨永愛の書籍がkindleのUnlimitedにあったので、読んでみた。彼女は、コンプレックスや怒りをエネルギーにして進んだり、闘ったり、の動的で能動的なエネルギーに変えて行ったのだと思う。それは生きる力なんだと思う。最後の数ページでは涙が出ました。彼女の中のものは解けていって、溶けて行ったように感じる(私の感覚的に)。