居場所

Captain Seina

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昭和元禄落語心中 というアニメ。よかったんだよ。アニメの内容とかポイントはうまく説明できないんだけど、見終わった後で、「居場所」というのを考えてた。
私は18歳。高校を卒業してから夜の街に繰り出すようになった。
自由が欲しくて、家を出て、夜働き始めた。
ディスコが零時に終わって、そこからバーに行く。当時はまだ「クラブ」というのが無くて、20か21歳位の時に、そういうのが出来た気がする。
午前1時に仕事が終わって、ふらふらと飲みに行く。
19歳の頃にディスコ友達に連れて行ってもらったソウルミュージックをかけるバー。当時マスターは30歳位だったんじゃないかな。ニューヨークから戻ってお金が無いときはレコード買取ってもらったり、バイトさせてもらったり。ニューヨークから一時帰国するときは「食事会せんとな」と言って、あの店で親しくしていた友達を集めてご飯に連れて行ってくれる。
そういえば、彼に説教された記憶はないな。
ファミリーというか、仲間というか、彼の周りにはそういうのがあって、ある種の居場所の様なものを彼は作ってくれてたのだと、今なら思う。
時々、〇〇は?と、誰かの事を訊くと、刑務所はいったんだとか聞くこともあったり。覚せい剤とかで捕まる人とかも時々いたみたい。
マスターはたいして流されることもなく、いつもたいして変わらず。みんなからは親方って言われていた。
マスターは至ってまともな堅気の人で、器が大きいというか、来る者は拒まず、どんな人でも温かく迎えてくれる人だった。お父さまは大手企業のサラリーマンで、お母さまは趣味がボウリングで、私がバイトしていた頃バーのキッチンにいんだけど、優しく受け入れてもらったよ。
そう。いろんな人が来るんだ。ほんとうに、色んな人が来るんだ。いろんな人が居た。
野良猫が集まって来るみたいに。
みんな居場所が無い野良猫だったのかもと、今は思う。もちろん、わたしも。

近年話したりするとき、時々マスターが「これでよかったのだろうか」というような事を、ぽつりという。
野良猫が集まって来るから、ほんと、色んな事があったんだろうとは思う。
どうして、夜な夜な遊びに出るのか。飲み歩くのか。それぞれに、そうしたいとか、そうしてしまう理由があるのだと思う。家の中や、家族間、自分の心の中が満たされていたり、そこにきちんと居場所があれば、ふらふらと飲みにほっつき歩かないかも。
色んな人にとって、あの店は居場所になれたと思う。それは、マスターの人柄とか、気遣いがなせる業でもあった。
マスターは若い子の面倒とかも、ほんとに、よく見てくれた。私もその中の一人だと思う。前のルームメイトの男子もその中の一人だった。
色んな人が、現れては消えていった。いろんな物語もあったと思う。
みんなに居場所を作ってくれた人だと、私は思うんだ。

で、居場所って、受け入れてもらえてる場所で、居場所があると人は安心する。だから何かあった時、不安になった時、ふらっとやってくるお客も居ただろうし、若い人たちにとっては自分が否定されない、なんていううんだろう・・・、温かい施設というか。
還暦過ぎたマスター。夜のお店は何年も前に退いたけど、今でも野良猫のように自分勝手に忘れた頃に連絡をしてくる私をいつも温かく迎えてくれる。私の一つの居場所。
私は個人主義な人で、仲間意識とかは無いし、好きじゃないけど、不思議なもので、あのマスターを軸としたつながりには、仲間意識の様なものがなんとなくあったりする。
マスターって人は至ってまともな堅気な人でしょ。そこに居場所を持てた私たちはラッキーだったとも思う。

人って、居場所が欲しいというか、必要なのかもしれないと思うの。
私は、今、殆ど社交もせず、ほとんど一人で過ごしてる。SNSもしなくなった。
自分の中にある程度の居場所がちゃんと持てたのはもちろんだけど、数人のお友達の中に私があって、居場所を持っているのだと思う。珍竹林のママの存在は大きいと思うな。
家族に否定されたり、拒絶されたり、自分が自分でいる事が出来なかったり、自分で自分が解らないと、彷徨うのかもしれない。
私がどうして世界をさまよっていたのかって、居場所を探していたのだとも思う。
SNSというのもひとつの居場所なのかもしれない。

一番の居場所は、自分の中なんだと思う。
やっと、そう、実感を持って思えるようになれた気がする。

今は自分の中に自分がしっかりいて、現実を受け止めてる。
一人で、個人主義で、孤独を好んで暮らしているようだけど、そんな私を適当に放ってくれて、尊重してくれて、私を受け入れてくれる人たちに支えられてる。
飾りっ気のないちょいと不器用でぶっきらぼうな私とクリスタライズを受け入れて、支えてくださっているお客様にも、感謝してる。
クリスタライズという居場所を私は持ってるんだと、作れたんだと、ときどき思う。


今日の写真は、なんか適当な写真が無いので、この前収穫して食らった葉っぱ。