スペインに行くので、2週間ほど前から、ロマ(ジプシー)の事を色々調べていました。
スペインのロマは「ヒターノ」といい、フラメンコはヒターノの音楽という事を知りました。日本でも有名なジプシーキングスはフランスに移り住んだヒターノだそうです。
https://www.youtube.com/embed/qmbx4\_TQbkA?start=29
ジプシーキングスは好きかと聞かれると、実はそうでもない。独特な小節があるでしょ、あれが暑うざいので好きじゃないのよ。でも、キューバから戻ってからは歌詞がスペイン語なので結構聴くようになっていました。
ロマ(ジプシー)の人たちは元はインドのラジャスタンからのようで、西暦1000年ごろに放浪しながら北アフリカやヨーロッパの国々にたどり着て行ったそうです。あまり定住をしないそうで、昔は荷馬車で移動をしていたとか。
今までの私の人生でのロマとの接触は、イタリアのローマの地下鉄の中でスリに遭いかけた事です。小さな子供でした。とても汚かったのを覚えています。
今回ロマ(ジプシー)の事を調べてみて、ロマがヨーロッパでどれほど嫌われ、差別をされているのか知りました。ヨーロッパではロマの犯罪が非常に多いそうです。すべてのロマがそうではないかもしれませんが、非常に貧しく、教育レベルが低く、劣悪な不潔な環境で暮らしているロマは少なくないようです。国籍のない人たちも多くいるそうです。
ロマの事を調べていくと、イタリアでのスリ未遂の事もあったでしょ、だから、関わりたくない人たち。それもヨーロッパにいっぱいいるんだよ。「スペイン行なんてや~めた!」と、思いました。
が、ふと・・・、以前、ニューヨークで生まれ育った(友人の)子供に「Seinaさんって、ボエミアンって感じよね」と言われた事を思い出しました。フランスのロマ(ジプシー)がボヘミアンのようです。で、はっとして、私の人生の引越し回数を数えると、居候と「実家に戻る」というのを除いても、30回以上引っ越しているんです。
わ、わたし・・・多分、ロマだった時代があるんだわ・・・。で、魂の性質にその時代の影響をうけてるのかも・・・。と、気になり、頭でマッチも歌うし、一度スペインのアンダルシアに行ってみようと思ったんです。
みなさんご存じの通り、調べだすとハマっていく性格。
ロシア、ウクライナ、スペインのフラメンコなどのロマの人たちの音楽と踊りを見ると、手の動きや歌の節に共通点があるんです。インドのラジャスタンの音楽と踊りから来ている要素だと思います。目からうろこでね。知らなかった事を知るってすごく楽しいというか、エキサイティングというか。
そうやって改めてジプシーキングスを聴くと、「なるほどぉ!」となって結構面白くてね。
フラメンコは、アラビア音楽とロマの音楽と、スペイン音楽が融合しているらしいです。ロマの音楽というのが、インドのテイストになるのだと思います。面白いなとおもったのが、1000年位経っても、インドの要素が残っているんです。
今回、私が行くのはグラナダという町。こういうドキュメンタリー映画がある事を知り、Netflixに申し込んで見てみました。
https://www.youtube.com/embed/YJjB1dEoss4?start=3
ブエナビスタソシアルクラブというキューバのドキュメンタリー映画がありますが、似てる感じがした。実際にキューバで暮らしてみると、違和感があるんです。撮る人のフィルターがかかって、リアルが感じられないんです。これは、別のキューバ音楽のドキュメンタリー映画でもそう感じました。撮る人の思っているキューバのフィルターがかかった感じだった。
私が感じるのは、ブエナビスタソシアルクラブというバンドは悪くないけど、そんなにいいとも思わない。キューバという国の体制や歴史、ミュージシャンたちの人生という背景があって、ドキュメンタリー「映画」としてキューバを撮ったという感じで、音楽的は悪くないけど、そんなにいいと思わないのよ。言ってしまえば、あの映画が「ブエナビスタソシアルクラブ」をレジェンドにしたんじゃないかと。
だから、この映画もどこまでがリアルか。ブエナビスタソシアルクラブに似たニオイがするの。イマイチピンと来なかった。
Netflixで「こちらもいかがですか」とカマロン・デ・ラ・イスラという伝説的なフラメンコ歌手のドキュメンタリー映画が紹介されたので、見てみる事にした。
こんな人ね。
https://www.youtube.com/embed/U9FXQzu4ifo?start=36
こっちの方が、私にとっては、知りたい事を「感じ取れた」。
これは、ヒターノたちのブルースなんじゃないかと。
苦しみがあるから生まれる音楽。
苦しみや抑圧があるからそれが情熱となる。
Passionの語源は受難。
私の解釈だけど、心や存在を殺さなくてはいけない、殺される、そんな苦難を受ける時に、その人の中の「生きる力」が体や心、魂の奥から出てくるんじゃないかと。私は、それがPassionなんじゃないかと思うの。
「フラメンコって情熱的よね」と、よく人は言う。
でも、私は理解できない事には同意しない。
情熱ってそんなに安易に言えるものじゃない。
だけど、確かに、フラメンコは情熱的な音楽なのかもと思った。
彼の歌は、彼の心が「歌いたい(伝えたい)」思いがある時に、ハートで歌うように感じるの。魂から歌う。だからか、突然、予定と違う歌を歌う事も少なくなかったっぽい。
カマロンのお母さんは歌い手で、カマロンは歌の事はお母さんから学んだとはいってる。だけど、お母さんはプロの歌手でもなく、暮らしの中で、コミュニティの中で心の奥の何か、暮らしの中での苦しみなどを「歌う事」で語っていた。歌詞や彼女の歌い方を見てそう感じました。
お母さんはインド人っぽいよね。
https://www.youtube.com/embed/7j-q\_bHPfFw?start=60
で、歌う事や踊る事が表現であったり、語らい合いであったり、苦しみの中を生きて行く中での、喜びであり、魂(心)を解放するというか、心までは殺されない為の、大切ななくてはならないものだったんじゃないかと。いい言葉が浮かばないけど。
それは、差別が強くあった時代のアメリカの黒人たちの音楽にとっても、もともとの、原型に近い、ジャズやブルースといった音楽にあったエッセンスだと思うの。近年のジャズは、苦しみが減ったというか、魂が生きる為、「それ以外に魂が生きる術がない」という感じのギリギリ感のある、魂に響くものが少ないのか、上手いんだけど、魂を感じないというか。
私、歌わなくてよくなったの。
歌わなくも、生きて行けるの。
感情解放が出来たら、苦しみが減って、心を殺されたり、抑圧されたりの苦しみが無くなったら、ハートの奥から歌が出てこなくなったの。
昔、とても有名なミュージシャンが「彼女はソウルフルなシンガーだよ」と人に私を紹介してた。
日本で「ソウルフルな歌手」というと、R&Bやソウル系のパワフルな歌手だと思うかもだけど、ただ「魂で歌う歌手」「心で歌う歌手」という事。
苦しみが無くなったら、歌わなくてよくなった。
否定されたり、抑圧されたり、心を殺されたり。人も私自身もしなくなった。そうすると、抑圧された思いが私のハートを突き破って来なくなった。受難(受け身です)が無くなると、殺されないと、生きようとする「強い」力が湧く必要が無くなった。
苦しみが無いと、抑圧されないと、殺されそうにならないと、理不尽に対しての怒りが無いと、沸いてこないものってある。
抑圧されても受け入れて、心を殺されていてもそれを受け入れてしまった人は、死んだ人の様に見える。その人の生命力、生きる力が感じられない。
受難によって生まれる、情熱によって生み出される芸術はその人の中の生きる力であり、叫びであり、嘆きであり・・・苦しみや怒りを発散する手段でもあり、生きる為に必要なんだと思う。
それ以外に、自分を「表現」したり、受けた苦しみで生まれたエネルギーを「発散」する方法が解らなかったり、伝えたい事があるから、歌ったり、踊ったり、キャンバスに描いたりするエネルギーが湧くというか。
認められるため、認められたい為の芸術は「媚びる」。
「エンターテインメント」「ショービジネス」というのはまた別物。
カマロンはお酒を飲まないと歌えなかったらしい。
心を裸にしないと歌えない。その為にお酒を飲んで歌っていたと。
そういえば、昔は「ハートが開かないから歌えないんです」「ハートが伝えたい事が無いから歌えないんです」なんてよく言っていた。その意味を理解してくれた人は居なかった。だけど、それは私の心の本音。真。
歌わないではいられない、どうしても歌いたい、伝えたい、とハートから発されなくなったのは、時々寂しいな、とも思う。
だけど、生きている事がとても楽になった。だけど、やっぱり寂しいと言えば、寂しいね。
苦しみがあるから生まれる宝石の様なものだったかもだね。
ジプシーキングスはそんなに好きじゃなかったけど、結構好きになった。
これはすごく好きだね。枯れてしまっても、音楽は生活で人生という感じがする。
https://www.youtube.com/embed/wMzu2HfCzSg?start=71
私の耳はさ、昔から心を聴くんだ。
それに関してはすごく長けてるんだ。
人間を聴くんだ。
ジャンルや、テクニックじゃなく、心の形。
音楽はさ、人が苦しみの中で結晶化した宝石なのかもだ。