父はよく「因縁を断ち切る」という事を言っていました。
特に、先祖の因縁をどう断ち切るのかという事を模索していました。
父の仕事を見ながら、多くの場合は亡くなった人の想いにどう対応するか。どう処理をするか。という事のように感じました。
私の家族は、先祖、前世と様々な事に取り組んで、解消させたつもりではいたと思うのですが、家族は滅茶苦茶になりました。そんな家族を見ながら、私もとても悩みました。苦しみました。
父は、「先祖の事も、前世の事も、お神様の事もこんなにやったのに、どうしてなんだ。とうして解けないんだ」と言っていました。
それぞれが抱えている心や感情の問題に向い合い、取り組むことはしませんでした。
「見えない世界」にも要因があるのだと思います。私は自分の前世の因縁(想い残し)に取り組みました。前世に負った多くの傷にも、父がいる事で取り組む事が出来ました。それらの事が本当の事なのか、思い込みがなせた業なのか、正直なところ解りません。もしもそれが思い込みで傷が癒されたのであったとしても、思い込みであってもその作業をしていた方が、もしもそういう仕組みが本当だったら、という事を考え秤にかけると、やっておいて本当に良かったと思っています。
普通の家では在りえない事ですが、それが私が選んで生まれた環境で、家族だったのだと思います。もし本当の事だったとしたら、私は魂の輪廻の中で、何かを整理できる環境を選んだのだと思います。ただそれだけです。
みんな、それぞれの魂に、違う想いがあり、親や家庭、環境を自分で選んだのだと思います。だから他の人や他の家族をうらやんでも仕方がない。それより、その人の魂の選択により、両親から与えられた命を自分の魂の目的の為に生きる事。
ご存じの通り、家族との事では色々と大変なことはありました。でも、世界を旅し、いくつかの国で暮らし、色々な現実を知る事で、私に起きた事はそんなに大きなことではなく、それよりも自分が日本人に生まれて持つ事が出来たもの、与えられたものや機会の多さに感謝が出来る様になりました。私は大バカ者ですので、人が何と言おうが、何を教えてくれようが、結局は自分が経験して納得した事しか学べません。
見えない世界と、現実の見える世界。自分が幸せになるにはどちらに取り組むことが重要なのか、解りません。
「どちらも」な気がします。
色んな事が解っていたら、産まれてくる必要はないのかもしれません。
解らないから、悩みながら、苦しみながら、時々すごく喜びもあり、何かを学んでるんだと思います。
誰かを恨んでも、誰かのせいにしても、幸せにはなれません。
幸せになりたいから、私たちは悩み、苦しみ、考えるのだと思います。でも、「幸せ」ってみんな違うんだと思います。
持家もなく、車もなく、パートナーも、家族もなく、日当たりのよい団地に住みながら、私は幸せだと感じています。不思議な感覚です。
その幸せ感がどこから来るのかというと、多分「後悔が少ない」のだと思います。
あっちこっちにぶつかりながらも、自分が思う方向に生きようと努力したのだと思う。「努力」なの?と思うかもしれませんが、「努力」だと思います。人から変だと思われようが、人から孤立しようが、不安で震えている「自分の心」と戦いながらきました。
間違った選択をした時、それが他の誰かの言葉に乗っての選択であったとき、後悔をします。誰かのせいにしたくなります。それに気づいたのは、中学生の時でした。
50歳になってやっとあまり揺らがなくなりました。それまではグラグラしていました。こうなれたのは、現実をしっかり受け止める事が出来る様になってからです。スピリチュアルに傾倒しすぎると、そのバランスがおかしくなることも少なくありません。
今世での心の問題を考える時に、スピリチュアルだけでは答えは出ません。だけど、この世の中は、見える世界だけじゃなく、見えない世界も相互作用をしながら出来ていると感じています。
クリスタライズに惹かれて来て下さる方々は、私がブログでスピ系の人たちを馬鹿にしたり、斬ったりしているにも拘らず、8~9割の方々がスピリチュアルを信じていたり、スピリチュアルに何かを求めている方々です。
父の元で育ち、見てきた事、歩んできた事の中で、見えない世界の事だけでは解決が出来ない。今生での感情。そこをやる事で、断ち切れる因縁や連鎖があると思っています。父を見て学んだことを根底に持ち、お客さまの感情解放のワークに取り組んでいます。
ご縁ある方が、クリスタライズでのワークを機会に、これから先、少しでも後悔の少ない人生を生きてくださるか。後悔の少ない人生は「想い残しの少ない生」になり、きっと未来の生では「前世供養」が要らない生になり、子孫にとっては「先祖供養」が要らないご先祖様になれるんじゃないかと。私はそんな風に思い、感情解放という分野をやっています。