
最近、感情解放のコースでお亡くなりになっているご家族に関するワークをする事が数件ありました。
フォーカスのメインは受講者の「感情」であって、感情の問題を解いて次のステップに進みやすくする。その人の人生を、その人の軸で歩めるようにするのがゴールです。その過程で必要があれば亡くなった方の供養のような事をします。
感情の問題になる要因の殆どは家族の中にあります。他人との間に起こることは多くが2次的な問題要因で、大本は親との関係にあります。←多分これは断言できる。
このひと月位、江原さんの動画や音源を色々聞きながら、魂や霊、生きる意味、生まれてくる意味、この世とあの世、といったようなものを改めて考えていました。
私が感じてきた事、感じている事は独創的だったり、思い込みで勘違いな事もあるかもしれません。そういったものを、自分以外のそういった人がどのように捉え、どのように説いているのか。心理学や精神医学、哲学に関する本を読むのも多くの場合、確認や答え合わせだったりします。
鵜呑みではなく(なんでも鵜呑みはいけません)、自分の経験と、自分が考えた事、自分なりに見つけた答えのような物を確認や答え合わせをするような感じです。江原さんであれ、三輪さんであれ、冝保愛子さんであれ、どんな哲学者や精神科医であれ、結局はその人の人間性のような物がフィルターとしてかかるので、納得のいく「しくみ」や「エッセンス」のようなものを汲み取るようにします。色々な人の言っている事をたくさん見たり、読んだりしていると、ほんの少しだけ残る何かがあるんです。ろ過されるような感じです。
真理という人もいるかもだけど、私はいつもどこかで疑いを持って考えていきたいので、「しくみ」や「エッセンス」という方が、合っていると思う。
現世を生きていても、現世や社会をどう理解し、どう生きるかがみんな違うように、魂の世界をどう理解し、どう自分の中に取り入れていくのかもみんな違うように感じています。
「見えない世界」を語る時、とても気を付けています。
多くの人は、「見えない」もしくは「気が付かない」世界なので、言い方ややり方を間違えると、相手は不安になったり焦ったりするかもしれません。見える世界の事ですら、解っている、理解できている事は少なく、知らない世界やまだ経験をしていない世界の事は、相手を不安にしたり、焦るような、気持ちにさせてしまうものだと思います。その不安や焦りが、思考力を奪ったり、翻弄させたりして、考える事を停止したり、深く考えずに相手の言葉についていきます。
私は、「見える」事は少なく、「感じ取る」事に長けていると思います。「見える」のは多分、必要があったり、強くメッセージ的に来たりした時で、そういう時は「感じ取る」ので、自分の中のチャンネルを合わせていくと「ビジョンが見える」という感じです。
チャンネルには色々あって、私の場合は人の「感情」に対するチャンネルは結構クリアで、当たり前に幽霊が見えてしまうという人が居ますが、その感じが、私の場合は「感情」なんだと思います。
見えたり、感じ取れたりすることが出来ればいいのかというと、そうでもなく、見えたり感じ取れても、「それをどうするのか」どう処理・対応するのか、というのが大事で、処理や対応が出来ないのであれば、見ざる、聞かざる、感じざるで、言わざるの方がいいと思っています。
生きている人間、見えている世界と同じで、処理や対応が出来ない事に、首を突っ込んだりしても何も解決が出来ず、結局相手も自分も面倒くさい状況にさせていきます。良かれと思ってやった事で自分が大変な状況になったりもします。見えない世界も同じだと思います。見えない世界はもっと面倒な事になる事もあります。
見えている世界でも、解らないことだらけです。
例えば、まだ全く解明されてない、ある新しい伝染する病気があるとします。その病を治そうとして、自分がその病に伝染し、命を落とす。
見えない世界は、多くの部分で「解らない世界」「まだ解明されてない世界」でもあります。またとても多岐にわたり、色々な層やチャンネル、世界があるとも感じています。
例えば、同じ地球上でも国や場所が変われば、私たちが暮らす日本での経験と理解では対応しきれない事が多くあります。見えない世界をどう理解し、どう受け取り、どう処理・対応をするかもそれぞれの国々で違うがあるし、彼らがアクセスする層や世界も多岐にわたっている気がします。
多岐にわたる「見えない世界」のその向こうに「真理」というものがあるのかもしれませんが、それに今の私や私たちがたどり着けるものなのか。多分、何百、何千と転生をしていつの日かたどり着けるものなのかもしれません。わかりません。
目に見える世界があり、目に見えない世界もある。それが相互に作用しながら私たちは生きているのだと思います。
目に見える世界も、知らないことだらけで、知らない世界や、関りを持たない世界も多くあります。
「真理」といわれる世界もしくは「点」にたどり着くまでにある世界は、「目に見える世界」にある「知らない世界」という風に、広い世界や層がもっとあるのだと思います。
その広い世界や層を、解り切ってもないのに、解ったように語る人たちの言葉に、見えない世界の事を全く知らなかった人たちが翻弄される。
自分が「解っている」「知っている」と思っている人たちは、視野や知識が狭い事や、自分が無知であるという事に、気付いてないのだと思います。そして上から目線な言葉を発してしまいます。(私にもそういう時期もあったと思うし、今もそういう愚かな部分が全くないと言う訳ではないと思う)
自分の中にある「コンプレックス」がそうさせてしまうのではないかと感じています。結局は、多くの場合、人間は自分勝手で利己的なんだと思う。スピリチュアルな事を仕事にしていても人間的に素晴らしいかというと疑問はかなり大きく、結局はその人との相性とご縁のような物なのかもしれません。
スピリチュアルを生業にしている人は人間的に素晴らしいとか、色んなことを理解出来て、解ってもらえて、助けてもらえると思ったら、多くの場合、殆どの場合、期待は裏切られてしまうと思います。
結局は、その人の魂が選んだであろう「生」と「命」を一歩一歩、歩みながら何かを学びながら、生きて行くしかないんじゃないかと。ロケットで一気に「真理」に飛べることはないし、苦しみから「お花畑」のようなところに行っても、いつかは、自分が選んで歩んできている「道」に戻り、「苦しみの解決」に現実的に「人間として」向き合い、乗り越えるしかないんじゃないのかと。それぞれに自分の魂が決めた「課題」がある気がするんです。
私の場合は、お花畑というより、世界の果てまで逃げてみた。
結局日本に戻り、今こうして日本でたいして物が欲しいとも思わず、静かに自分を見つめながら暮らしていると、「これで良かったんだな」とつくづく思う。
最近の感情解放の仕事の中で、お客さまの心を解くために、亡くなった方の作業が必要で、それに取り組み、亡くなった方とお客さまの心の縺れが解けた時、私は心の底から「嬉しい」と感じる。父の仕事を見ながら、知った事、学んだことを確実に仕事の中で生かしていると思う。父からのバトンをしっかり受け止めているように感じる。
沢山の旅をし、逃げまくり、色々な経験をし、誰から強制されたわけでもなくここに至る。私の人生、これで良かったと思うし、着実に魂が選んだ経験をさせてもらえている気がする。そう感じる事が出来ている時、心がとても穏やかで、充足感がある。不思議な感覚なの。
結局は生まれて来た一番のテーマは、多くの人の場合、家族、特に親との関係にあるんじゃないかと。その課題を解くために私たちは家族の事で悩み苦しみ、理解をして解くためには色々な経験が必要で、旅をしたり、色々な経験をする。傷つき、悩み、苦しまないと、その課題を解く力が付かない。
スピリチュアルな事で、何が、誰が言っている事が真理か解らない。
だけど、経験と感動をえるために生まれて来ている事。
自分で選んだ課題、それを解くための問題集を私たちは生きていて、その「真理」に向かう道の途中で、この世、この地球に生まれて来ているという事は、そーんなに高尚な魂でなく、みんな修行坊主みたいなもんかもです。