最近、ちょっと、というか、かなり困った事があった。
その事で、ネットでもいろいろ調べたし、弁護士さんにも相談したり。
どう考えても、これ、おかしいし、たちが悪いし、悪質でしょ。
法的にも私に権利はある。
でも、何があったか、それを下手にネットに書いたら、今度は名誉棄損で訴えられる可能性もあると。
え?
でも、本当の事だよ。
本当の事って言えないの?
そして、また、私の悶々と考える日々が・・・。
例えば、悪質で、人を踏みにじる様な人が居るとする。
その人の事を、良く書く事はOKで、本当の事(事実)を書く事は出来ないんじゃないかと。
「人の事を悪く言ってはいけません」
とか、子供の頃から言われるけど、良い事は言っていいけど、悪質な事をしていても本当の事を言っちゃいけないの?
それは悪口になるの?
そうやって考えると、
それが真実であっても、それがどう考えても悪質というか、おかしな事、だったとしても、本当の事を言う人って世の中に少なくて、それが偽や唯のきれい事であっても「良い風」に言う事が、「良い」とされる世の中&風潮だとしたら・・・。
世の中、多くが「きれい事」になりがちという事になる。
最近、「逆切れ」する人達の事も考えてた。
そういう人達が、逆切れする時、多くの場合は、どう考えてもその人に色んな非があったりする。
「だから、それ、おかしいでしょ?(多くの場合道理的に)」
と言うと、意味の解らない理屈や理由を並べて相手のせいにして「逆切れ」をして、こっちが悪い様な言い方をする。
自己防衛なのだとは思うけど、そういう場面に出会うたびに、「あれ?私が悪いの?」と、異次元の空間に迷い込んだか、キツネにつままれた様な気なる。
自分を守る為に人を刺す事はひとつの「防衛」の形だと思う。
そういった場合は、言い返した所で、意味の解らない理屈をまくしたてて来るので、これは、もしかして、ある種の「キチガイ」なのかも・・・と思い、仕方ないけど、悪者にされたまま引き下がる。そういう事で実質的に損害を被る事もある。
そうそう、例えば、お金を借りる人。
借りる時は、凄くした手に、お願いする。「困ってんのかな」と思って貸したりする。なかなか返してくれないので「そろそろ返して欲しいんだけど」と言うと、色んな理由を並べて挙句に私が悪い様な言い方をしたりする人がいる。私が悪いという感じでまくしあげるし、言い合うのも馬鹿らしくなる。そもそも借りたお金を返したくないし、返す気も無いのであろう。
「あ、もしかして・・・キチガイだ・・・。関わった、信じた、アタシが馬鹿だった」
ハラワタ煮えくりかえっても、必死でそう自分に言い聞かせて終わりにする。
よく、「金の貸し借りはするな」
というけど、ちゃんと返す人も居る。
でも、逆切れして返さない人も居る。
そういう人ほど、涼しい笑顔で世の中でのさばっていたりもする。
その人の事を、こうして、ああして、と本当の事を書いたり、言ったら、もしかしてその人は名誉棄損だとか言って、逆切れ的に訴えてくるのかもしれない。
実は社会って、本当の事を言う事が難しい場所なのではないか、と。
良い風に言っておくと、何の問題も無い。
だとしたら、世の中はきれい事が多くなるんじゃないか。
でも、人間の裏や、社会の裏などの、本当の事をあまり知らないと、ちゃんとした判断が出来ないし、騙されやすいのではないか・・・。
そんな風に思う今日この頃。
私の親友と良く話すのが、
「夜安心して眠れる生き方」をしたいと。
そういえば、昔、私の祖母にお金を借りたというお婆さんが、ある日、祖母の家に来た。
「白石さんにお金を借りていました。少しでも返させてください」
ちょっと異様な、焦りがあった。
祖母は、十数年前にすでに他界してて、母は、「そう言われても・・・もういいですよ。義母は亡くなってますし・・・」と。
あの日見たお婆さんの姿や玄関でのシーンは今も記憶に残ってる。