血のバトン。家系の因縁で感じたこと。

Captain Seina

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十数年ぶりにきょうだいに会い、父を見送り・・・魂のしくみ、色々なことに気づきました。

その中でも、私がよく言う、「血のバトン」。その家系が、特に血縁で引き継ぐ・・・因縁。この前のメルマガにも書きましたが、もう少し書きたいと思います。

いろんな方々がそういった魂に関することは、すでにたくさんの方が書いていて、もうすでに散々皆さんも読んだと思うんです。

あえて、言えば、それは頭に入った「知識」になったとしても、「経験」ではなく、肉体と心を使って経験しなくては魂に刻まれたり、魂の成長につながったり、またカルマの解消をしないように感じています。

父の影響もあり、中学生の頃から魂のことを、疑問を持ちながらも、見つめてきました。だから、40年ね。それでも、どれだけ本を読んでも、誰かに教えてもらっても、自分の心と体と頭で考え、感じ、深い部分で合点がいかないかぎり、それは紙上の、自分の外のもの。

わかったつもりになっても、なっていても、本当には理解できてなかったりする。

以前から、時々・・・、よく思っていたのは。先祖からの因縁を引き継ぐと言うこと。それは、血の中にあるように感じていました。なので、その両親のもとに命を、肉体をもらったのであれば、その因縁、良いことも、悪いことも、受け継ぐ。そう言う経験をする宿命なんだと。

以前から気づいていたかもなことは、きょうだいがいれば、それを分担してるんじゃないかと感じていました。

よく、先祖供養とか、先祖の因縁がどうとか、と言ったり、先祖がしたことがどうとか、って視点でそれを解こうとする。現世の自分、自分の家族が、現世的な幸せが欲しくて、先祖からの因縁を考えたりする。でも、今回気づいたことは、生まれてくる魂が経験したいテーマ、物語、の基盤のようなものができているところを選んで生まれているんじゃないかと思いました。だから、先祖の問題とかじゃなく、自分の魂、家族の中のそれぞれの魂が、自らそこを選んで生まれてるってことね。

それぞれの魂が、その家族の中で、複雑に絡みながらも、それぞれの経験を積んでいく。その中でそれぞれの魂にあるテーマと向き合い、解決させていく。もちろん解決させられないこともあり、それがより複雑にもっと絡んでいく事もある。

それを教えてあげても、気づいてもらおうとしても、本人が、自分と真摯に向き合い、気づかない限り、解きは始まらない。誰かが何かを言っても、特に身近な人が言うと、より関係性がより難しくなっていく。この場合、良かれと思って、教えてあげようとする事自体が、その相手に対する、相手の魂に対する尊重がないというか。

自分で気づいて、自分で解けないと、意味がない。手助けをすることは、自分はわかってるのに、その人が気づかない、わからない、わかっていないというこちら側の傲慢さもあるのかもしれない。

その人は自分で気づき、自分で考え、因縁を解く。そう言う力があると、静かに信じて見守ることしかできないのかもしれません。それが、その魂への尊重でもあるように、感じました。

魂が、親や家族を選び生まれてくる時。

その時間軸や感覚がどうなっているのかは、まだ私にはわかりませんが、生まれてくるときに、お腹に宿り、DNAや血を受け継ぐときに、その中にそこまでのその血の歴史が刻まれていてるんじゃないかと。で、それは、その生まれてくる魂が、その血の歴史を選んで、だけど未来はまだ決まってなくて、その魂や家族というチームがどう向き合い、取り組むのか。

そのチームは依存ではなく、尊重して、自律、自立ができていないと・・・・なんというか、泥沼になっちゃう。

みんな、それぞれ、違うテーマを持って生まれてきて、それにふさわしい経験が出来るステージ、フィールドを選んでるんだ。

血を分けたきょうだい。

たくさんの姪や甥、その子供達。

彼らを見ながら、眺めながら、感じながら・・・。いくつかの因縁はもうすでに受け継がれてる。始まってるんだと感じました。確信しました。

血を分けたきょうだい、家族と言われる関係にあっても、私には大して何もできないということ。それが、それぞれの魂への尊重なのかもしれないと思いました。

教えてあげても、気づいてもらおうと努力しても、それはより面倒に複雑に物事や因縁を絡めてしまうのかもと。誰かと関わるということは、良くも悪くも因縁を作っていくということ。もちろん、解消をするための出会いもある。

一見、悪いこと、悪い出会い、酷い出来事のようなことが起きたとしても、その奥にあるのは因縁を解消させてもらえているのかもしれない。

一見、良いように見える人も、その奥には今までの因縁をより複雑に絡める因子だったり。それに気づいたら、その物語はもう自分には関係がないと思うのであれば・・・それぞれの魂の経験を邪魔しないように、すっと身を引く。

寂しくないと言えば、まぁ、寂しいかもだけど、こうやって、孤立して生きていくのも、私の魂が選んだ事なのかもしれない。10代の頃から、自分は一人じゃないと自分で考えられないと気づき始めてた。自己肯定感が弱くて、軸が弱かった私は、周りに影響されやすかったの。

56歳になって、一人でいることがとても心地よく暮らせてるということは、そういう方向に行きたかったんだっと思う。でも、誰もが私のような生き方をする必要はなく、憧れる事もなく、孤独で寂しそうと思う事もなく、それぞれの魂が、それぞれの全く違うだろう経験をするために、生まれてるんだと思う。

私は、5人の血を分けたきょうだいがいて、そのうち4人が同じ両親から生まれてる。この4人の感情が複雑に、絡み合ったと思う。もうね、信じられないような事も色々あった。本当に、ホントに、辛かったし、憎かったし、たくさん涙流した。でもね、ある時期、40代半ば、キューバに行った頃だったかな。キューバに行けたのは、すごくすごく辛いことが、家族であって、きょうだい達から逃げ切りたかったの。社会主義国でスペイン語のキューバ、電話も郵便も難しい。でもね、キューバで暮らしていくうちに、あんなに辛い、苦しい、きょうだい達との関係があったから、私はキューバに行けた。もし、私が一人っ子やせいぜい二人きょうだいだったら、父も母も、私がニューヨークやキューバに住むことは許さなかったというか、すごく苦しかったかも。でもね、あと3人いれば、私一人が居なくても、日々いろんなことがあって、追われるんだ。

それぞれの魂が、それぞれの経験、違う経験を必要として、生まれてきてるのだと思う。

だからね、比べても仕方ないんだ。比べれば比べるほど、競争すればするほど、自分から離れていく。

そうだね、感情解放のワークをしていて感じるのは、ほとんどの場合、自分から離れてしまった人を、自分の(その人の)型にもどすことがゴールになる。その型がいろんなものが絡んで見えなくなってるので、まずはそこを発掘する。そして、自分という素の型を感じて合体したら、そこがゼロ地点。そこに還らないと収まらないと、自分の魂に繋がらない。

いろんな不要なもの、感情やエネルギーを解放して、自分の魂に繋がったら、自分をサポートしてくれてる、ちょっと自分より高次な存在とも繋がり、自分の魂の生き方の道が見えてるくるんだと思う。

なんて、偉そうなこと、わかったようなこと、は・・・私もよくわからないけどね。ただ、ただ、自分と歩調を合わせながら、一歩一歩、試行錯誤しながら、泣きながら、笑いながら、歩んでいく(生きていく)しかないんだと思う。

「いろんな不要なもの、感情やエネルギーを解放」をしないでも、いろんな存在と繋がれるけど、自分にコンプレックスやネガティブな思考やエネルギーがあれば、そこに同調する存在にも繋がりやすい。で、憑依や生霊とも繋がったりするからね。

嘘をつく人たち・・・。そういう人たちといると、自分も嘘をつかなくちゃいけなくなる。最近そんなことがあったの。それがすごく苦しかったり、気持ち悪かった。で、挙句にそういう人たちに悪意を感じたりするようになってしまった。でもね、嘘をつく人たちは、私に対して嘘をついているというのは大したことじゃないんだ。そういう人たちは、他人に対して以前に、自分に嘘をつかないと生きていけない状況にある人たちなんだと思う。そういう人たちといて、居心地が悪かったら、そこは自分には合わない波長の世界なんだと思う。

どっちがいいとか、悪いとかじゃなく、違うだけ。あえて言えば、その人にとって共感者が多いところが、居心地がいいところなんだと思う。

居心地悪いと感じても離れられない事もあるよね。私もあるよ。不安になったりするよ。でもね、そういう時こそ、今までの孤立や、孤独から得た学びが、宝のようにキラキラ光るよ。時間をかけて結晶化されたクリスタルみたいにだよ。


写真は、朝露を纏った庭のオレガノだよ。