
先日書いた記事。
赤間神宮の会場で歌ってきた件
みんなは、たぶん、良かれと思って、私の歌が素敵とか、いいとか、言ってくれてるんだと思う。解ってる。
でもね、歌手として心が歪んでしまった私は、過敏に反応をしてしまう。
傷がある人は、痛みがある人は、その痛みを庇う為に、必要以上にガードをしたり、相手をはねのける。
「またやってる・・・」
自分では解っているんだけど、心がそう反応する。
「そろそろ、自分の中で、決着をつけないと・・・」
そんなことを、この数日考えたりもした。
地元のジャズミュージシャン達・・・。特に地元である意味地位の様なものを持っていたジャズミュージシャン達、というのかな。
最悪な人たちだった。
あれから、30年くらい。何度も思い出した。自分の年齢や時期によって、いろいろな理解があったとも思う。だけど、53歳になっても思う事は・・・最悪な人たちだった。ほんとうに、もう、関わりたくない。
もう関わりたくないと言っても、ひとりはもう亡くなった。だけど、その、「地元」でジャズの関連の人たちと関わると、多分、その人の事が出てくる。だから、その「地元」のジャズの人たちとは関わらない。関わりたくない。嫌な、歪んだ自分が顔を出すし、「その人」の事は耳にしたくない。
多分、わたしは、彼らを人間としても、ミュージシャンとしても軽蔑をしているのだと思う。
何があったの?
くどくなるから、上手く説明できない。
私が思う、最悪なおじさん達。
自分たちの立場や地位から下を見て、鼻で笑う。
私の歌が恥ずかしいと馬鹿にした人たち。
金子晴美「さん」の様に歌えないのか、と、訳の解らない事を言った人たち。私に言わせると金子晴美「さん」の歌こそ恥ずかしい。でもさ、世の中の8割は詐欺みたいなものだから・・・。
だけど、わたしは?歌でお金を稼げない。「稼げない」のではなく、「稼がない」。
私は、アメリカンスタンダードポップスが大好きだった日本人の女の子だった。多分、それがあの頃の私の全てだった。日本で生まれ育って、あまり英語がうまくなかった私は、歌の意味を深く理解する事が難しい。それでも、大好きだった。私なりに一生懸命勉強した。それでも、日本人の私には難しい。特にアイラガーシュインの歌詞は私には難しいと感じる事がよくあったし、今もちゃんと意味が解ってない歌が多い。だけど、アイラ・ガーシュインの歌詞は素敵すぎる。
ロレンツ・ハート、コール・ポーター、アービング・バーリン、ユダヤ人の書く詩は素敵なんだ。星がちりばめられたみたいに、私の中で歌詞がキラキラするんだ。だけど、日本で生まれ育った私にはまぁまぁ、難しいし、勘違いとかもある。だけど、大好きだったんだ。
私がアメリカの往年のミュージシャンに可愛がられた一つの理由は、多分歌詞を大切にすることだったと思う。
言葉にどうやったら、命が宿るか。言葉が生きるか。自分の言葉で物語を語れるか。
それでも、日本で生まれ育った私には、難しいんだ。ほんと、たまに勘違いして解釈してたりね。
世の中の8割は詐欺みたいなものだから、そんな私でもそれで商売すればいいのかもだけど、なんか後ろめたかったり。あとね、日本では「ジャズ」の形、みたいなのがあって、特にジャズ好きの人たちやミュージシャンは私の歌はジャズじゃないとか、よく言われた。その「地元のミュージシャンたち」もそう言った。「ジャズじゃないから恥ずかしい」とか。
私に言わせると、英語も解らないで、物語も解らないで演奏している彼らは恥ずかしい。
マイクを持ってステージにたつと、ミュージシャンや観客とのコミュニケーションが始まる。スタンダードナンバーの素敵な所は、ミュージシャンもお客さんもそれぞれが、それぞれの物語をその曲に持っていたりする。そこに、「私の言葉」で語り掛ける。投げかける。アメリカ人って(歌で)話しかけると、投げかけると、一緒に乗って話し返してくれる。
それが、私のスタイルだった。
アジアの女の子が、アメリカ人の高齢者が聴いてきた歌を歌いだす。それも意外だったと思う。
だけど、それが出来る日本人のミュージシャンはいない、と思う。
だってね、生きてきたバックグランドにそういう歌が、流行歌として沁みついてる人たちと、憧れて追っかけた人たちは全く違う。そもそも、歌詞を知らないし、英語が解らないと応えようがないし、日本人はそういうコミュニケーションがとても下手な人多いと思う。心の扉が閉まってるというか。
私は、開いてたと思う。開いてたというか、心を開かないと、心が開かないと歌なんて歌えない。
22歳くらいの時、ニューヨークでちょっとピアノを習っていた日本人のピアニストが「ショウコちゃん、日本に帰ったら潰されるよ」と、言った。
その時は意味が解らなかったけど、今はとってもわかる。私は潰れた。多分、潰された、心を。
その「地元」では。苦しくて苦しくて生きていけないから、何度もニューヨークに戻った。だから、素敵なミュージシャン達に出会えたし、日本人として、英語でアメリカ文化を歌う、私なりの方向を見出した。それが、第二次世界大戦時の流行歌でもあったの。これを日本人が、その時代に闘いあった世代に贈る事。それは、日本人の私がやるから生まれる意味があると思ったんだ。
往年の、あの戦争を体験したジャズミュージシャンたちは私の挑戦に力を添えてくれた。
超一流のジャズミュージシャンも力を貸してくれた。彼らは無邪気な私を可愛がってくれた。私の歌を、私を好きでいてくれた。
私はまぁまぁ、結構頑張ったと思う。だから、「地元」のミュージシャンたちも喜んでくれるのだと思ったら、大きな間違いだった。もっともっと関係が悪くなっていった。
45歳くらいの時に、その「地元のジャズミュージシャン」にあるお店でばったり会った。驚くほどに罵倒された。泣いた。だけど、気付いた。嫉妬だったと。
気付いても、理解しても、心の歪や傷は治ってない。
頭では理解できてる。
だけど、人前で歌った後に、特に日本のミュージシャンや、日本の観客の中で歌った後に、上手く説明できないけど、妙な恐怖とか不安が襲うの。で、色んな言い訳をする自分がいるの。誰も責めてないのに、褒めてくれてても、責めらえるという不安や恐怖から自分を守ろうとする、
楽しくない事をする必要はない。
だけど、歌う事は好き。というか、多分、そういう魂。
あと、何年、歌えるか解らない。
もうすでに、声が衰えてきてるし、体が固まって声を出すための調整も時間がかかる。
歌いたいんだよ。
生きている時間。歌える期間。もう残り少ないからね。
私も歌いたいし、グレイディとの約束でもあるしね。グレイディは私の歌を聴いてすぐに気づいたんだ。
「君は歌っていく子だよ」って言って。
「ソウルフルな歌手」だと友達に紹介してくれてた。
ソウルフルって、魂に響くとか、心(ソウル)があるとか、そういう意味だと思う。
約束もしたけど、何よりも私の魂が歌いたいって、苦しんでる。
だから、この痛みや憎しみに決着をつけないと・・・。
だからさ、彼らがどんなにいい人な顔をして地元でやっていたりしたけど、私には最悪な最低な人たちだったって、言ってしまおうと。言ってしまったら、すっきりするかもしれないかもと。
あの地元のジャズミュージシャンはとっても、ずるい大人だったって。
とても、心が小さな、人だったって。
さよなら。
そして、ありがとう。
あの人たちが、最低最悪だったから、私はあの街から出て行って、ニューヨークで音楽をするしかなくなったから、沢山の出会いがあり、楽しい思いと大切な大切な思い出が持てた。
さよなら。