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善い行いをしよう

Captain Seina

先日、江原啓之さんのスピリチュアルバイブルという動画を久しぶりに見ていて、ふと、気づく。
「善い行いをしよう」とか、そういうことを「教えて」くれるんだけど、それって、人によっては、無理があったり、努力があったり、我慢があったりしてしまうんじゃないかと。
そもそも、なぜ「善い行い」といわれることをしなくてはいけないのか。
「しなくてはいけない」のではなく、その人が、何らかの「得たいもの」があるからそう「したい」のではいか、と。スピリチュアル系的では「魂を磨きたい」「魂を向上させたい」あと、じつは、「楽に生きたい」「幸せになりたい」とかかもしれません。
私が、なんで、スピリチュアル系とか魂とか、前世とか、そういうのより、「感情」のことにフォーカスをしてそこを解こうとするのかというと、感情に問題というか、不具合とか、もつれとか、歪があったら、「善い」といわれる、思われることが、うまくできないと思うんです。でも「善い行いをする」ということが、魂の向上や幸せなどなどにつながるとなると、「善い行い」を「したい」と思うけど、「心から」うまくできないことって多いんじゃないかと思うんです。
そもそも、「魂を磨きたい」「魂を向上させたい」「楽に生きたい」「幸せになりたい」等々は、「WANT]で、ある種の「欲」なんだと思うんです。前にも書きましたが、人間は「欲」があって行動が起こるので、「欲」がないと生きにくいので、欲はあってもいいというか、人間は「欲」があるものなんだと思います。
人間は善なものか。生まれながらに罪を背負っているのか。
日本人は、「性善説」を根底に持っている人多いと思うんですよ。でも、それは、「根底」にあるかもなことで、根底からその人の表層までにはいくつもいくつも、いろいろなものがあり、なかなか素直に「善」の根柢を基に生きられないなんじゃないかと。
この場合の「根底」は、魂とか。魂にも、いろいろ絡んでたりしてて、そのよりピュアな部分、スピ的にはその人の中の「神聖」とかそういうのかも。
私は「性善説」を信じる人だと思うけど、いろいろ絡んで、素直に「善」として生きられない、いろいろ絡めて生まれてきているのかもしれないし、生まれてきて更にいろいろ絡めていくのかもしれません。その絡みが「罪」というか、そういうものを生んでいく。
そういう場合は、いろいろと戒律や、ルールがあったほうが、生きやすいと思うし、それがないと、人間は自分で自分を見失うことも多すぎるので、そうやって縛ったほうが、世の中や社会にもいいのかも。とか思わなくもないです。
とはいえ、そもそも、「幸せ」ってなんだろうと、よくよく考えてみてください。
その人が「幸せ」と思える、感じられることは、ひとそれぞれというか、いろんな「段階」がある気がします。
どんな欲も、得てみないと、手にしてみないと、「解らない」事が、たいていあると思います。得てみたり、手にしてみて、それがその人が本当に欲しかったものか、その人にとってとってもとっても大事なものなのかは、わらかない気がするんです。そうやって、経験しながら、考えながら、段階を踏んでいくんだと思うんです。
「経験」をして、一歩一歩、段階を踏んで、その人の求める幸せを、見出すというか、結晶化させるというか。経験の過程を得るには正しいとか、間違っているとか、そういうのじゃないと思うんです。
「善い行いをしよう」【魂の向上の為に】【幸せになる為に】だとしたら、善い行いをすれば、そうなれると説くのだとしたら、それって、5段飛びとか、エスカレーターというか、エレベーターというか。それよりも、自分や自分の人生をしっかり見つめて、受け入れて、一歩一歩階段を自分の足で歩くしかないんじゃないかと、で、その一歩一歩には、間違いといわれそうなことや、人を悲しませたり、傷つけることもあるんじゃないかと。簡単には上手くいかないし、何が「うまい」事かもよくわかりません。そういうことも、一歩一歩歩んでいるうちに、ちょっとずつわかるというか、自分の中で感じ取っていくんじゃないかと。
「善い行い」をすることが、「魂の向上の為」に良いことで、それがもしも「答え」だったとしても、答えだけをもらっても、問題は解けないし、その答え、「自分なりの答え」を求めて一歩一歩歩むことが大事なんじゃないかとか。
無理があったり、努力があったり、我慢があるということは、その段階じゃないのかもしれないとか。というのも、無理があったり、努力があったり、我慢がある人は、ある日、決壊とかしたら、マジ怖いし、決壊まではいかなくても、日々ができて、毒々しいものが流れたりね。あるよね。だからね、「いい人面」な人には気を付けるようにしています。それでも、騙されるというか、見極められないこともよくあります。でも、そういう人は、本人は「善いことをしよう」「善い人であろう」と努力というか、良い方向に頑張っていたり、良い事をしていると思い込んでいたり。自分の中の毒というか、歪やらを見ないというか、足元(自分)を見つめてなくて、先ばかり見ているというか。
スピ系の人たちって、そういう人多い気もしますね。なんてちょっと偉そうに言うと、じゃぁ自分はどうなの?って考えると、ほんと、たいした人間でもないので、地道に一歩一歩、のんびり生きていこうと思います。
とはいえ、江原さん以降に(以前は丹波哲郎さんとかかも、いつの時代もそういう神秘主義とか、スピリチュアルな流れってあると思う)、妙なスピリチュアル系な人たちがいっぱいになったのは、やっぱり、江原さんたちのやり方がよくなかった部分あるんだと思うんだ。
だけどね、そもそもね、生き方とかが深くかかわるスピリチュアルな事とかを、「教える」ことが無理があるのかもしれない。
自分がその分野で経験や知識が「人に教えるほど」に多い、人より多く持っているから、そう自覚とか自負しているから「教えよう」とするんじゃないかと。
人間って、生き方って、そんなに簡単じゃない、教えられない事な気がするんです。