3本目の動画をほぼスッピンで、普段のままでやってみて気づいたのですが。
私が、綺麗とか、素敵とか、誰がそんな事を期待しているのでしょうか。
よくよく考えてみたら、もともと、見た目的に、素敵とか、美人とか、そういう系じゃないんですよね。
どうして、化粧をちゃんとして動画を撮ろうとするか考えると、まぁまぁましに見せたい。中くらい、出来れば、中プラスに見えるように塗れないか。
だけど、がんばって「中」に出来たとしても、「中」や「平均的」だったら、埋もれる。
「中」や「平均的」にすることで目立たなくすることが出来る。それは、自分にとっての欠点も目立たなくすることが出来る。
動画撮影をする時の化粧って、普段の化粧よりかなり盛るの。そうしないと、もともとボケっとした私の顔は、はっきりしない。結構がんばるのですが、その盛りが、より、自分を不自由にしている。
私のルールなんだけど、歌を歌う時に、自然じゃないものはダメんだんだ。
例えば、誰かが、「ここはこうした方がいいよ」とアドバイスをしてくれたとする。それで録音したものは、わたしじゃないんだ。上手く見せようと、形を作ろうとしているけど、心が無いし、不自然だったりする。
それで、上手く見せられる人もいるんだと思うけど、どうやら、私はそれがストレスになるんだ。
私にとってのストレスって、「自己否定」や「他人からの否定」とか、自分以外の何かになろうとするとか。
自分以外の何かになろうとしたいのは、そのままの自分が嫌だからなんじゃないかと思う。
だから、理想とか、憧れの暮らしとか、誰かを見て「こうなりたい」とか、って、自己否定が根底にあるんじゃないかと。
よく人から、「等身大」なのがいい、と言われる。
それは、誰かの為でもなく、自分をよく見せる事で、本当の自分とのギャップが生じて、自分自身が苦しくなるから。
それで、壊れそうになったことがあるから。
自分を見つめて、「自分を無理しないように」やってる。
そもそも、私は、子供の頃から、容姿端麗じゃない。
どうしても自分の容姿が嫌で、とてもきれいになりたいんだったら、お金かけて整形すればいいのかも。
人って、もともと、持って生まれたものがある。
骨格的にスタイルがよかったり。
顔が美しかったり。
頭の回転が速かったり。
記憶力が優れていたり。
残念な事に、持ってなかった。んだけど、持って生まれられたものもいろいろある。
声は、声帯と骨格を変えることは出来ないので持って生まれたものだと思う。
繊細かもな感性も、持って生まれたのだと思う。
もしも、神さまが、
声と感性と引き換えに、美人でスタイルがよくて、頭がいい人にしてあげるからといっても、いらない。
私はこの声と感性があったから、素敵な事がいろいろあった。
人が持っているものを羨むよりも、自分が持っているものを大切にしてあげたほうがいい。
自分にとってストレスになる事は極力したくない。ので、多分、今後の動画は「ほぼスッピン」が基本形で時々化粧になると思います。