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世界はあなたをどう扱ってる?

承認欲求をどう終わらせるか・・・。

Captain Seina

10年ほど前、北九州の戦争の歴史の冊子を作っていたころ。ある友人が「認められるといいね」と言ったの。
彼は彼の優しい心から、そう声をかけてくれたの。だから、ほんとに、善意。でも、その時に、「認められる」という事が彼にとって意味が大きい事なんだと感じた。
目から鱗だった。
もしかして、多くの人は「認められる」ことを目的、もしくはひとつのゴールとして何かをしているのかも、と。
それより、わたしは、認められるためにその冊子を作っていたのか。自分では気づいてないけど、そう思っていたのか。そんな自問をしたり。
20代のころからやってきた第二次大戦の事。全米の老人ホームに第二次大戦時の流行歌でつづったCDを送った。どうしてそういう事をしたか、いろいろ理由はあるけど、伝えたい事があったの。だから3500カ所の老人ホームに勝手に送り、つけた。
このプロジェクトは、根底に「認められたい」という気持ち、承認欲求はあった。生まれてきて、否定いっぱいされて、自分には生まれてきた価値がないと思っていたからね。
私には(私にとっては)とても大事な、伝えたい事があったの。「あなた達の歌はまだ生きてる」と。戦争で敵国だった国で生まれた少女が、あなた達が戦時中に愛した歌を聴いて、たくさんの夢を見て、憧れを抱いて、その歌に慰められ、寄り添ってもらった。音楽、歌は戦争での憎しみとかを越えることが出来るんじゃないかと。そんな挑戦でもあり、それが私に出来たら、私には生まれてきた価値が無いわけじゃないんだじゃないかと。老人ホームから頂いた手紙には、一緒に歌ってくれた人たちや、涙した人たちがいたことを教えてくれました。
10年前の冊子は、もうほとんど忘れられてる戦争にかかわる歴史や、あのプロジェクトをきっかけに知った殆ど知られていない歴史を、伝えたかったの。あの戦争の事では本当に色んな人に出会えたし、いろんな経験が出来たと思ってる。あまり、前世とかって言いたくないけど、14歳のころに私はあの戦争で死んだんだと、解って以来、私はあの戦争とあの時代の音楽に惹かれ続けた。殆ど執着というか、気が済むまであの戦争を追っかけた。
そこに、承認欲求があったのか・・・。ある程度受け入れられないと私の伝えたい事は伝わらないとは思う。そういう意味ではある程度承認されないととは思うけど、あの冊子は、北九州市の市制50周年の会場にブースを借りて、勝手に配りまくった。
あの冊子はタイトルに「We Remember You」という言葉を添えた。これもI remenber youというあの時代の歌からとったんだけどね。「私たちはあなたちの命や歴史を覚えています」という事を、魂たちに伝えたかったんだ。供養というとおこがましいが、いろんな人たちに出会って、いろんな事を知った、知れた私の役目というか。
人が受け入れようが、受け入れまいが、私が伝えたい事があるからそうやった。だから、冒頭に書いた友人の言葉は、思ってもなかった言葉だったの。だけど、認められるため、認められたいとか、そういう事が何かをする上で原動力になっていたり、気づかなかったとしても目的になっていたり、そういう人は少なくないのかもと思った。
結果としては、あの冊子は多くの人に受け入れられたと思う。帰りの会場の掃除では一冊も捨ててなかったし、それで大学の講義の話が来たりもした。
自己肯定感が殆どなかった私だった頃、認められる、受け入れられることは、心の死活問題だったとは思う。
インターネットやSNS,Youtube、といったものが承認欲求の掃き溜めのように感じるときがある。いや、結構そうなんだと思う。
ネットのニュースとかで、時々国内外のインフルエンサーとか、ユーチューバー達の事件とか、問題とかを目にする。Netflixでもそういうドキュメンタリーがあった。
自殺とかも時々あるよね。
人間っていうのは何かの欲求があるから行動するんだと思うの。
お腹がすいたから、食べたいから、気分を紛らわせたいから「食べる」。
何かを知りたいから、学んだり、外国行ってみたり。
わざわざ行動をするのは、何らかの「欲求」があるからなんだと思うのね。
私ったら、殆どSNSやらなくなったでしょ。老眼も進むし、目、しんどいじゃないですか。
時々、疲れてたり、なんか持て余してたりしてると、老眼かけてフェイスブックをダラダラ見てたり、はする。あとは「お付き合い」程度に。
フェイスブックの広告とか見てると、怖くなるんだよね。あんだけの自分のデータ、提供して、利用されてるんだと。
みんな、言いたいこと言ってるし、個人ページで商売宣伝している人も少なくない。
誰かの言ってる「正義」ほど、胡散臭かったり、無知臭かったり。
良さげなこと言ってたり、いい人っぽく装ったり。
もう、さんざん、そういう人たち見てきたり、嫌な目にも遭ったりで、時間という目減りする財産をそこに使うかというと、あまりやらなくなった。
私も昔は、承認欲求はけっこうあったとは思うよ。
でも、色々、現実とか、人(心)の仕組みとか解ってくると、「ああ、こういう事だったんだ」と、いろいろ理解できる。特に今はネットでいろんな情報を知れるからいろんな事に気づきやすい。
人は理解しないと、次に行けないからね。だから理解はとても大事。
で、「どうして」じぶんはそうしているのか。それをするのか。
多分多くの場合、理由は幼少期や、家族との関係が影響しているのだと思う。「承認欲求」が満たされてなくて、不安なんだとは思う。
だから、どっかで、そこをやっつけるというか、理解して乗り越えないと、承認欲求はなかなか終われない気がするんだ。
だけど、人は「欲求」があるから行動できるんだと思うのね。だから、「承認欲求」はあってもいいのだと思うの。だけど、本人が、自分に何が欠けていて、そうなっているのか、気づかないと、気づけないと、なかなか次のステージというか、段階に行けない。
健全であれば、子供時代に満たされておくべきな心の問題なので、大人になれてない人も少なくないと思う。だから、承認欲求をこじらせると、痛々しかったりする。そういうのが、あまりにも目につく人は非表示にしたりします。個人ページで商売宣伝する人もあまりにも目についたり、うざかったら、非表示にします。
それとね、気軽にSNSとか、ブログとか、Youtubeとかに露出することが、人生においてリスクになるという気もするの。
Seinaさんこそ、いっぱい露出してるし、ブログもこんなに書いてるじゃないですか。と思うかもだけど、「個人事業主」って自分が商品のようなもの。こうやってブログを書き続けているから、みなさんに出会えるし、商売も出来てるのだと思います。
子供たちが、承認欲求が満たされないでネットとかSNSで安易に目立とうとかしないように、しっかりお母さんは子供の心を受け止めてあげてください。お母さんが承認欲求を満たしてない段階で不安な場合は、子供たちもっと拗れるかもしれないので、まずは自分です。