最近、記憶の箱を開ける作業をしてる。
そんな途中で、よく小学5年生と6年生の時の担任の先生を思い出す。
私が人生で初めてあった、私にとって最低な大人だったと思う。
もちろん子供の頃は先生をしている彼が最低だなんて気づきもしなかった。
私は彼の顔、表情、一語一句、を結構覚えている事に驚く。
最低と最高は記憶に深く刻まれるんだと思う。
さっき、ふと思い出した。
「朝鮮、朝鮮、ぱか言うな、足のつま先ちと(ちょっと)違う。」
彼は、以前、在日朝鮮人の多く住むエリアの小学校で仕事をしていて、こういう差別的な歌を歌う人たちがいたと言った。でも、彼はこの歌を私たちの前で歌った時に、困った顔をしながら微笑んでた。不思議なもので、私は彼が歌ったこの歌の歌詞もメロディもいまだに覚えてる。
彼は当時40歳くらいだったと思う。
彼の実家はお寺で彼はお坊さんの資格も持っていたと思う。
私が今、どうして彼の事を思い出すのか。
私がどうして今の様な生き方をしているのかという自問からだとおもう。
私は既存ではなく、与えられたものではなく、自分だけの価値観や観点を見出そうと多分挑戦してる。
時々途方にくれるし、心もとても疲れたり、打ちのめされそうにもなる。
それでも、自分だけの価値観。それと、新しい価値観や観点を模索しようとする。
その根底は、小学5・6年生に遇ったいじめが原因なんではないかと。
私は身体があざだらけになるほど男子達に蹴られた。
私が太って醜くて変わっているからだと35歳くらいまで思っていた。
でもある日、ふとある事に気付いた。
あの時私をとび蹴りしたり、床の上でうずくまる私を蹴っていた子供たちは、私が憎くてやったのではないのではと。
彼らは深く物事を考えてなかったのではないかと。
私を何十年も悲しめたあのいじめの原因はあの担任の先生にあった事に気付いた。
その頃、家庭の事情で学校区の外に住んでいて、転校をさせたくなかった両親は住所を仕事場に置き、私たちを転校させなかった。
小学4年生の冬から父は毎朝私たちを車で学校の坂の下まで車で送ってくれていた。
私の父は車道楽の人で、いつも最新のかなりいい車に乗っていた。
先生は旧式の小さな軽自動車に乗っていた。
先生は時々、その事を嫌味っぽくみんなの前で言っていた。
私が苛められていると先生は困ったという顔をしながら、微笑んでいた。
そして、「痩せないと肥満児学校に転校した方がいい」とかそんな事を困った顔をしながら、言っていた。でも先生は微笑んでた。
私が18歳くらいの頃、当時先生が親に宛てた手紙を母が笑いながら私に見せてくれた。
「お宅の娘さんは思考も動作も鈍く、学校での生活態度もよくない。それは肥満の為脳みそにも脂肪が回っていているからです。」
そう言う事が書かれていた。
「笑いながら見せてくれた」母も物事を深く考え理解のできない人だったのだと思う。
私を苛めた人たちも、自分の頭で物事を深く考える事が出来なかった人たちなのだと思う。
私のいじめは先生がしかけたのだと思う。
そして子供たちはその空気に乗り、流され、深く物事を考えず私がアザだらけになるまで面白がって蹴っていたのだと思う。
先生が教室に入ってくると「やめなさい」と言って止める。
でも、先生がそのゲームを一番楽しんでいたのかもしれない。
傍観者たちの目も私は覚えている。
私はあの時の空気と木の床の目や埃を忘れる事が出来ない。
私は運がいいので、その後ひょんなきっかけで隣の県の私立の中学を受験した。
私を床の上で蹴った人たちから逃げる事が出来た。
私が中学3年生の時に当時の担任に偶然会った。
彼は、ある市立の小学校の校長先生になっていた。
大人になっても、多くの人が自分で深く考えずに周りの空気や意見に迎合しているのを良く見る。
私には時々その人たちがのっぺらぼうのように見える。
また迎合させる笑顔の人たちが時々偽善者に見える。
いじめをなくそう。
それは薄っぺらい言葉で、そんな言葉には大した効力はない。
その言葉をもっともっと深く、自分の頭で考えて欲しい。
どうしていじめが起こるのか。
大人たちが最低なのかもしれない。
子供たちの事を心配するより、まず大人たちが自分たちの生き方を深く見つめ直す事が大事だと思う。
大人達すら自分の頭で考えて違う他者を尊重し合い、
他者の事情を深く理解しようとする人は少ない気がする。
大人たちが自分の頭で考え
孤立する事を恐れず、
新しい価値観をそれぞれが見つけ出す挑戦をしないといけない気がする。
競争や羨望を生む物質資本主義とのバランスや、
深く物事を考えずに人の言う事を鵜呑みにする事を気をつける事なども視点のポイントになるかもしれない。
あの先生はいい人の衣を着た最低な大人だったと思う。
私を助けてくれる人、助けられる人はいなかった。
私は逃げる事が出来て良かった。
両親は深く理解をしてなかったが、無理をして私を私立に通わせてくれたと、今は思う。
私は運が良かったと思う。
いじめにあったり、
村八分にあったら、
その村を逃げればいい。
逃げた先には、きっと違う価値観と常識を持った人たちがいる。
世界は広い。