自分は何て面倒なセンシティブな事をやっているんだろうと、ときどき思う。
私がなぜか戦争に関わっている事はもう周知の事。第二次世界大戦の時代のアメリカの歌を本気で愛してしまい、歌を通して第二次世界大戦中にフィリピンで捕虜になりその後日本に送られ炭鉱で働いていたおじいさんとの出会いから、私と過去の戦争に関する繋がりは深くなったの。
あの戦争の事はとても複雑で難しい。関わった人の数だけ物語があり、感情がある。痛みを与えた人、痛みを受けた人、憎しみを持ち続けている人、いつの間にか葬った人・・・人の数だけ物語がある。その度どの扉を開け、どの部屋に入るか、どういった人と関わるかで、自分がしっかりしないと見たかや考えというのは簡単に偏れる。それをどう自分の中でバランスを取りながら、おじいさんとの友情を育てるか、私の音楽を役立てるか、周りとのバランスをとるか、日々考えさせられる。
歴史になんて全く興味がなく、学校の授業も殆ど寝てて、教科書にある歴史上の人物の写真は如何に落書きによって面白くするかしか考えてなかった私が、とても微妙で、複雑な時代の歴史に関わる。いろんな方に出会う。私はそういった公的な場や公的な方々や結構もしくはとても有名な方々にも繋がったりする。なんでこうなっちゃったのか、でもそれが自分の魂にとって何か意味があるから、出会いがあるんだとも思う。
私がいつも気をつけているのは、
「自分サイド」や他者の感情に同情や共感を持たないようにすること。
「自分サイド」というのは、私の場合はとても解釈が難しくて、例えば、アメリカと日本と考えた時に、日本人でありながらアメリカ側の方々との関わりが結構ある。私自身「兵士たちが愛したアメリカの音楽」からこの事に関わっているからすごく微妙な立ち位置だったりする。日本人から見ても微妙だし、アメリカ人から見ても微妙で、時々くじけそうになりながらも「自分」だけの観点を持ってやっている。
これって、この事だけじゃなくて、いろんな場面で必要な気がする。
人の感情や悲しみは、その人のもので、自分のものじゃないんだよね。あの人が間違ってるとか、何が正義だとか、それは人から言われて一緒にそう思うんじゃなくて、今の自分にとってどうかというのを自分の軸(ハート)で考える。
なんで、こんな事をやってるの?と聞かれたら、「縁」としか言いようがない気がする。「縁」がサインだったり、友情になったりして私をこのちょっと、かなり面倒な題材との「縁」をより深いものにしていくというか。
歌を愛した事、おじいさんに出会った事、あの時代の大スターと繋がりが出来た事、戦争に関する事でのいろんな人との出会いがドンドンある事。そういった周りとの縁と自分のハートを冷静に見ながら、エネルギーの方向や形態を見ながら、自分が進む方向を、確認しながら進んでる。
戦争に関する事をやっていると、本当に、たくさんの、いろんな、感情に、出会う。
感情に関する事をすごく研究して、自分の感情をほどいて、多くのクライアントさんの感情を見せてもらい、良かったと思う。
良かったというか、本当に、本当に、最低限だけどこの事に取り組む基盤のようなものが出来たとも思う。
感情って、せっかく肉体を持って生きる上でとても素敵な大切なものでもあり、もっとも厄介なものだと思う。時々思うのが、戦争が残すいろんな問題の多くが「感情」から来てる気がする。
本当は、戦争を知らない私が、第三者として戦争の事に関わりながら垣間見る感情の事をもっと色々書きたかったけど、長くなったので、今日はこの辺で。タイトルとの関連性が中途半端になったけどお許しをっ。