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canonical_url: "https://blog.cabin1701.com/ja/2018-09-02_喜怒哀楽感情は味わい尽くそうよ/"
title: "喜怒哀楽☆感情は味わい尽くそうよ！"
date: 2018-09-02T00:00:00.000Z
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category: ["CRYSTALLIZE","感情解放"]
tags: []
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![featured](https://media.cabin1701.com/crystallize/2018/men.jpg)
「喜怒哀楽が激しい」という表現がある。

私は元々から喜怒哀楽は激しいとは思う。だから自分の感情に振り回されて、特に、「怒」と「哀」は大変だった。でも、今は振り回されるほどではなくなったと思う。振り回されれないけど、「怒」や「哀」はある。

「怒」や「哀」は面倒な感情という気もするけど、「喜」と「楽」はいいよね☆彡

「怒」や「哀」を感じないで、「喜」と「楽」だけ感じて生きるって事は可能なのか？無理な気がする。どちらの感情も、「感情センサー」みたいなのが開いていると起こってしまう。

「喜」と「楽」をいっぱい感じたかったら、「怒」や「哀」もいっぱい感じると思う。

「怒」や「哀」もしっかり感じて、味わった方が人生は楽しいと思う。濃いというか、色彩豊かというか。

怒る事はいけないのか？

我慢してためていたら、爆発する時は怖い。

だから怒る時は怒った方がいいと思う。

哀しい時は、泣けばいいし、悲しみを味わえばいい。でも、自分が価値が無いとか、自己否定感が強いと、哀しみのブラックホールにはまると危ない。

泣いたり、笑ったり、悪態をついたりもするけど、それらは感情と連携していて、生きている中での色彩というか。

で、この喜怒哀楽を色んな方向からサポートしたり、刺激（←私を怒らせたり）したりしてくれるのが、「人」だったりする。

で、友達とかが、私の事なのに、私より悲しんでたり、私より怒っていたり、私より喜んでたりとかしたりしてて、「あ、私、この人にとって大事な人なんだ」とか気づいたり。

自分のバランスがとれて来たら、この「喜怒哀楽」というのが楽しい。

生きてるって感じよ。

折角生きてるんだから、感情は味わい尽くそうよ。

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私、最近気づいたんですが、みそ味のラーメンって好みじゃないみたいなの。色々何度も食べてみたのですが、どうも好みじゃないみたいなんです。
