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canonical_url: "https://blog.cabin1701.com/ja/2013-08-21_心配/"
title: "『心配』"
date: 2013-08-21T00:00:00.000Z
lang: "ja"
category: ["CRYSTALLIZE","心いろいろ"]
tags: []
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私は、心配される事が嫌いである。

私の母が、昔、よく、夜中に電話をかけてきた。
「あんたが心配でね。。。」と、連発する。

はじめの頃は、優しく聞いていたけど、ある日、母は「心配」を連発するけど、彼女は私の人生や魂を「信頼」していない事に気付いた。

その頃、私は離婚して間もなく、仕事もまだ軌道に乗って無く、大変な時期でした。自分で覚悟して言いだした離婚だったので、頼る人も場所もない私は、歯を食いしばって、月々を乗り越えるしかない。そこで「心配」と言われても、何の解決にも、救いにもならない。

「あのね、心配じゃなくて信頼をしてくれる？」

と、言っても、夜中に電話をしてきて、「あんたが心配で」という。

どうして、母の「心配」がこれ程までに私を不快にさせるか、分析をしたの。

どうも、母は、心配をする事が、思いやりや愛情だと思っている。
で、気付いたのが、「心配」はその人には無理だろう、出来ないかもしれない、という、否定的な想いが根っこにある気がしたの。庇護されたい、かまってほしい子供であれば、それはそれで、愛情表現になり得るかもしれないけど、私にとっては、否定的な思考回路を増長させる呪文のようにも感じた。それでも、若い頃は、母の心配が嬉しく、愛情のように感じた。私が愛されたい、庇護されたい、子供だったのだと思う。

44年と言えば、何もない人生な訳はない。
もう、二度と～笑顔には～なれそ～も、ないけど～。とか、立ちあがれないと思った出来事もあったけど、時間がかかっても立ちあがった。だから「この子は、何があっても、立ちあがる強さを持っている」と、強く信じて欲しい。

信じるエネルギーは、その人を強くすると思う。
本当に、立ちあがれなくなる日も来るかもしれない。それでも、強く信じて欲しい。そうやって、人は支えられる気がする。

私の母は、自分を信じる事が出来ない人です。母のバックグランドを知ると、多分それも仕方のない事だとも解っています。心配をする事が母の愛情表現だったとしても、心配は私の自己否定を助長し、私を弱くする呪文のように聞こえる。

私は、心配をする人には距離をオク。
心配される事によって、元々それ程強くない自分が弱くなっていく気がする。
時として、心配って、上から目線な気もする。多くの場合、心配をしてくれる人は、その人自身がいろんな問題を抱えてる。でも、他人を心配する事でその問題から目をそむける事が出来る気がする。

心配は、私に何かがあった時に、私を助ける覚悟がある人にだけ、私より強い人にだけ、私は許可をする。

私は、自分のクライアントの事を心配はしない。「きっと、大丈夫だろう。この人は乗り越えようとしている。乗り越えろ！」って思う。心配をしても、何の解決にもならないと思っているから。
